置き換えられた世界

終末は天地が崩れることだとは限らない。ある朝目を覚ますと何もかも正常に見えて、ただ細部が記憶と違っている、という形もある。

最終更新:2026.06.20

終末は天地が崩れることだとは限らない。ある朝目を覚ますと、何もかも正常に見える。ただ、いくつかの細部が記憶と少し違っている——そして自分以外の誰も、おかしいと思っていない。

この世界が別の版によって一区画ずつ上書きされている、という兆候がある。上書きの範囲は過去に向かって食い込む。写真も、記録も、他人の記憶も一緒に書き換わり、「もともとそうだった」ように見えるところまで直される。

この件に全景はない。あるのは一コマ一コマのサンプルだけだ。未明に上がった目撃の投稿が6時間のうちにアカウントごと消え、17件のうち4件しか残らない。ウェブアーカイブに残っていたスナップショットは2枚、最後のクロールは1か月前で止まっていて、今日の未明のあの投稿はスナップショットのなかに存在しない。41枚の写真が掛かっていた壁は、3週間後に39枚になる。釘はそのままで、壁面には額縁が押しつけられていた跡もない。

「何もかも正常に見える」ことが、この件のいちばん語りにくいところだ。コンビニの店員は窓の外について訊かれると、まず視線がその方向へ動き、2秒ほど止まり、それから顔を戻して「いえ、何も」と言う。口調はさっき品出しの進み具合を話していたときとまったく同じだ。管理組合の住民名簿には、路地の奥に三晩座っていたあの老婦人は載っていない。職員はひととおりめくってから、この道には28年のあいだ60歳以上の女性が住んだことはないと言う。どの記録も清潔で、揃っていて、互いに辻褄が合っている。

説明はてんでばらばらだ。公式の原稿はそれを大気と電磁のせいにする。夜勤の運転手、清掃員、深夜のコンビニ店員といった「深夜組」は、非公開のグループのなかで「あの時間」と呼び、互いに口には出さない。集団的な疲労だと言い張る者もいる。一言も多く話さずに電話を切る者もいる。

速度のほうは見積もれる。あの壁が3週間で2枚減った速さから前へ引き延ばすと、一人の人間がすべての印画紙から完全に消えるまでにおよそ61.5週、1年3か月かかる。ただしこの速度が線形なのか、それとも加速するのかは誰も知らない。

残る問いはひとつだ。置き換えが終わったその日、もとの版を覚えている人間はまだいるのだろうか?

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