観測メモ|「すべてのデータが完璧」な惑星が、なぜ我々を眠らせないのか?
ある惑星の公開データはすべて「人類の居住に完璧に適する」と示している。酸素、液体の水、磁場、重力、植生、どれ一つ不合格がない。それなのに先遣隊には、この「完璧すぎる」せいで眠れない者がいる。なぜか?
(本項は生命科学班の非公式のメモを整理したものであり、ダイダロス号の公式見解ではない。)
先に言っておく。ケプラー942c の公開データはどの項目も合格で、一項ずつ突き合わせれば、出発前の最も楽観的なモデルよりきれいだ。
先遣隊が D+1 午前に地表で実測した一組を、そのまま書き写す。
大気 酸素 21% 窒素 76% 二酸化炭素は地球基準より低い
地表 温度 22 度 湿度 90
重力 地球型
備考 空気中にごく微量の金属の匂いを検出、由来未定、比率は警告線より下実測値と遠距離推定の差は、すべて機器の公差の内側に落ちる。酸素含量は 0.1 ポイントの差で公差は正負 0.4、温度は 0.4 度の差で公差は正負 1.5。再確認を要する欄は一つもない。
まさにそれが、一部の先遣隊員を眠らせずにいる理由だ。
生物学では、自然に進化した生態系が「どの項目もちょうどよい」ということはまず起こらない。本物の惑星には必ず欠陥があり、生命はその欠陥と格闘しながら伸びてきたから、完璧ではない。
だがこの惑星に欠陥はない。まるで誰かが「人類が住める」という規格表を見ながら、一項ずつ調整したかのようだ。
同じ一組のデータでも、班ごとに読み取るものが違う。遠距離観測報告の判読欄には「各パラメータは理想区間に収まる」と入っている。工学班は勾配と基盤岩しか見ず、そこには署名した。医療班は人工的な特徴と自然の進化は並立しうると考える。生物班は結論欄に「設計された傾向がある」と書き、そのあとに但し書きを一つ足した。これは仮説である。3 つの判読は並べて上げられ、どれも他を覆さなかった。
手順に近道はない。標本は地表から P1 へ入り、P2、P3 を通り、生物班区画の最も内側の P4 へ押し込まれる。作業は気密ガラス一枚を隔てて行い、標準隔離期間は 72 時間。最初の 7 個の標本ケースが作業台に並び、最後の一つには葉が一枚だけ入っていた。
厄介なのは対照群だ。比べられる第二の惑星はなく、地球を基準にするしかない。そしてその地球の基準は「生物は 22 種の標準アミノ酸を使う」という前提の上に書かれている。この標本は一つも合わなかった。19 種の非標準アミノ酸に、アミノ酸類似体に似た有機分子 2 種。スキャン範囲内で対照と呼べるのは、あの枯れた葉一枚だけだ。ラベルは今 2 行になっている。
007-A 枯葉 スキャン範囲内で唯一
007-B 007-A の裏面に付着 性質未定007-B のあの欄は今も空だ。生物班の誰も、そこに最初の一字を入れたがらない。
この一連の記録には、収める欄のないものがいくつかある。空気中のあの、鉄を焼いて赤くした直後のような金属の匂いは警告線より下で、毎日三度五度と現れる未確認の灰色の枠の列に並べられた。採取点の北 2.4 キロでの再スキャンでは地殻の厚みは変わらず、既知の空洞も検出されなかったが、センサーの校正ドリフトは 0.2% から 0.7% へ跳ね、24 時間のうちに基準線の 3.5 倍になった。
ほかに 2 件、どの報告書にも入らなかったことがある。あの日、分隊長はハッチの前で 3 秒立ち尽くしてから「外は何もない」と報告した。帰路では全員が往路の足跡より靴幅半分ぶん左を歩き、低く垂れた葉枝を避けていったが、誰も理由を言わなかった。
メモに残った一次資料は一つだけ、林の縁でのあの検証だ。全隊が動きを止め、装備に触れず、録音器を掲げて 4 分 37 秒録りきった。入ったのは 5 人の呼吸と、フェイスプレートの伝声器で増幅された心拍が一つ、毎分 82 回。この録音はどの欄も通っている。記録欄には、手書きの一行が残っている。
静かすぎる。ここのすべてがちょうどよく、まるで誰かが我々のためにわざわざ整えたかのようだ。
一項ずつ置いておけば、どれも「我々はまだこの星を十分に知らない」で流せる。風がないのに葉は揺れ、その一枚一枚が同じリズムを保つ。地下 37 キロのあの脈動は 72 秒に一度来て、実測のピークは 64 ジュール、この深さの地殻構造から推定すれば 10 ジュールを下回るはずだ。難しいのは、それらを同じ一本の時間軸に重ねることだ。
残る問いは一つだけで、しかも会議で声に出して訊く者はいない。これが維持されている環境なら、それは誰のために維持されているのか? そして誰によって、維持されているのか?
観測者コメント
0 件
