異聞蒐集|「第二健康ステーションに行ってから、あいつは少し変わった」
別々の人から届いた、なのによく似た幾つかの言い分。友人が、同級生が、家族が、「健康ステーションに行ってから、少し変わった」。笑い方がとても標準的になった。誰かに教わったほど標準的に。
(本稿は読者からの便りをまとめたもので、内容は未確認。差出人同士に面識はない。)
いくつか便りが届いた。差出人たちは互いを知らず、住む区も違うのに、語っているのは同じ一件で、使う言葉まで似ている。並べておくので、自分で見てほしい。
同級生が健康ステーションの評価に呼ばれた。戻ってきても彼は彼で、成績も習慣も同じだ。ただ笑うとき、その笑みがとても標準的で、標準的すぎて——どう言えばいいのか分からないが——笑い方を誰かに教わったようだ。
兄が一度行って、戻ってからは例の「おかしなこと」を口にしなくなった。前は、他の人には見えないものが見えると言っていて、こちらは疲れているのだろうと思っていた。今は言わない。兄は元気だ。少しばかり、都合よく元気すぎる。
恋人は戻ってから、6 年描いてきたスケッチブックを捨てた。あの絵は自分でも分からない、と言って、表紙だけ剥がして取っておいた。彼女は今、元気だ。
同居人の歩く調子が変わった。前は歩くのが遅くて、歩行者用光帯にいつも外側へ寄せられていた。今は真ん中を歩いて、一度も寄せられない。本人は気づいていない。
祖母は首の後ろに埋め込む型だ。健康ステーションから戻ったあとも、数秒おきに手を上げて耳の後ろに触れる。手の震えの間隔と、耳に触れる間隔が合わない。祖母は元気だ。
父が健康ステーションから戻った日、夕食の途中で手を止め、母を長いこと見てから、さっきどこまで話したのかと訊いた。母はそのとき何も話していなかった。父は元気だ。それから毎日、元気だ。
学校の三階の評価室が、同級生に三つの選択肢を出した。どれもいつ入れるかという話だ。他にはないのかと訊いたが、画面は答えなかった。彼は今週を選んだ。彼は今、元気だ。
私自身も一度呼ばれた。とても丁寧に、小さなものを入れてほしい、私を「合わせる」ためだと言われた。入れなかった。あとで画面に一行出て、私をある「区分」に入れ、その後の処置に私の同意は要らないと書かれていた。まだ書けるうちに、これを書いておく。
どれも裏は取れない。完全な日時と場所を添えられたものは一つもなく、返信できる宛先を残した差出人も一人もいない。
健康ステーションが善意なのは、こちらも同意する。知覚偏差値が高い人は頭が痛くなり、眠れなくなる。再診は正しい。
四つ目だけ、一度試した。先週水曜の午後、第七環状路の歩行者用光帯のそばに 10 分立ち、真ん中を歩いて一度も寄せられない人を数えた。60 人のうち 4 人。その人たちに、どこへ行ってきたのかは訊かなかった。
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